線。

見えない線は、もう引かれ始めている。

物価は上がり続ける。

食料品も上がる。
建築費も上がる。
人件費も上がる。
家も上がる。

同じ100万円でも、
10年前の100万円と、これからの100万円では買えるものが違う。

これから先、
「持っている人」と「持っていない人」の差は、
もっと大きくなると思う。

そして私は、
本当の格差社会とは単純に年収の差ではないと思っている。

買える人と、買えない人。

この間にある「見えない線」が、
誰の目にも見えるようになった時、
本格的な格差社会になる。

家を買える。
車を買える。
旅行に行ける。
子どもの教育にお金を使える。
老後の選択肢を持てる。

その反対側には、
欲しくても買えない。
やりたくてもできない。
選びたくても選べない世界がある。

だから私は、
若い人にも投資や資産形成の話をする。

少額でいい。
失敗してもいい。

株を買ってみる。
経済を見る。
金利を見る。
物価を見る。
税金を知る。

自分のお金を実際に動かせば、
嫌でも世の中を見るようになる。

でも、何度言ってもやらない人はやらない。

それも自由。

勉強しないのも自由。
投資しないのも自由。
貯金だけでいくのも自由。
今日の楽しさを優先するのも自由。

何も考えず普通に生活するほうが、
その人にとって幸せなのかもしれない。

それなら、それでいいと思う。

人生は本人のものだから。

ただし。

何もしない自由には、
何もしなかった結果もついてくる。

ここだけはセットだと思う。

私は、お金だけの話をしているのではない。

仕事でも同じ。

勉強する人と、しない人。
挑戦する人と、しない人。
失敗から学ぶ人と、言い訳する人。
10年後を考える人と、今日だけを見る人。

今日一日では、大した差には見えない。

一年でも、そこまで変わらないかもしれない。

でも10年積み重なれば、
同じ場所にはいない。

それを全部「格差」という一言で片付けるのは違うと思う。

もちろん、
病気や家庭環境など、自分の努力だけではどうにもならないことはある。

そこには社会の支えが必要だと思う。

でも、

できなかった人と、
やらなかった人を、
同じにしてはいけない。

さらに言えば、

考えた人。
働いた人。
節約した人。
勉強した人。
リスクを取った人。
失敗しても立ち上がった人。

その人たちが積み上げた果実を、

「格差があるから」

という理由だけで削って、
何もしてこなかった人との差を埋める。

私は、それが平等だとは思わない。

結果には原因がある。

そして人生は、
結局、小さな選択の積み重ねだと思う。

やるのか。
やらないのか。

考えるのか。
考えないのか。

挑戦するのか。
現状に留まるのか。

どちらを選んでも自由。

でも、

自分で選んだ人生の結果まで、
誰かのせいにしてはいけない。

今はまだ、
「買える人」と「買えない人」の境界線はぼんやりしている。

でも私は、
もう線は引かれ始めていると思う。

そして怖いのは、
線が見えた時ではない。

気づいた時には、
簡単には越えられない線になっていること。

だから私は、
考える。

だから私は、
動く。

誰かに人生を何とかしてもらうのではなく、
自分の人生くらい、
最後まで自分で責任を持ちたい。

それが私の考える「自責」です。